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うつ病&パニック障害奮闘記-おさんぽ村長のブログ

パニック障害&うつ病と戦ってるブログです

うつ病との出会いと間違えた選択

こんばんは

日曜日なので家に篭ってボーッとしてました。

 

ブラック上司の下を離れ

また無職になりました。

 

半年のサイクルで無職になる日々。

しかし家計を支えているのは僕一人。

休んでなんていられないんです。

 

パニック障害があるからといって仕事をしなくていいなんて事にはなりません。

 

僕は考えました。

「きっと今の業種が向いてないんだ」と。

 

思い切って営業の仕事でもしてみよう。

沢山の人と関わって話をする仕事の方が向いてるのかもしれない。

 

そう思い不動産業に飛び込みました。

 

求人サイトから応募をし

面接後内定をもらい、働き始めました。

 

ですが

求人広告の内容といちぢるしく異なる点が多すぎるんです。

 

箇条書きにすると

・休憩1時間→なし

・9時半出社→9時出社

・充実の研修とサポート体制→そんなものなし

・タイムカードなし

・休業日もなんでかしら人がいる

 

不動産業はキツイと聞きますが、その正体はコレだったんですね。

 

車の運転は普通に出来るので

右も左も分からないままとりあえず外に放り出されました。

 

なぜ不動産業を選んだのか

自分もよく分かりませんでした。

怒号が飛び交う職場、理不尽な事で怒鳴られている先輩。

 

自分は新人でしたので

特にコレといって何か言われた訳ではないですが

 

不安しかないですよね。

 

次第に車の運転中にもパニック発作が出るようになり始め、危険を感じたので

 

三週間で辞めました。

 

一年で三回も転職する。

運が悪いだけなのか。。。

自分に原因があるのか。

葛藤しました。

 

結論としては

自分に原因があると考え

ついに精神科に行きました。

 

診断結果。うつ病

驚くどころか納得でした。

 

僕の症状は

・死を考える

・倦怠感

・いつも眠い

・やる気がとにかく起きない

・ボーッとしてる

・食欲不振

・突然泣き出す

 

こんなところです。

日常生活にも支障が出るくらいの症状です。

 

酷いうつ状態になると

ネガティヴな気持ちから

強い不安感に襲われ

パニックも併発する。

 

なかなか厳しいですね。

辛くて人生辞めたくなります。

妻がいなかったらとっくに死んでます。

 

不動産を辞めて

家計はギリギリだったものの

一ヶ月休養しました。

 

かろうじて職歴やら経験はありましたので

また中途入社でIT業界に戻りました。

 

そして現在に至ります。

小さいベンチャー企業ではなく

そこそこ大きな上場企業です。

今はそこに勤めています。

 

まだ入社して日は浅いですし

大きな会社なので給与も全盛期に比べたら低くなってしまいましたが

 

休憩時間はしっかりあって

残業が完全許可制、福利厚生もしっかりしているところなので安心して働けてます。

 

うつ病やパニックを持ってる事は会社には言っていません。社内の人間は誰も知らないです。

知ってもらっていた方が色々安心ですが、それで職を無くしたら元も子もないですし。

 

しかし相変わらず

新しい職についても

体調は改善されないので

昨日から心療内科に通い始めました。

 

先生に対しては不信感しかありませんがとりあえず薬を出してくれましたのでよかったです。

 

今飲んでいる薬は以下です。

 

抗不安薬

・リーゼ

デパス

 

抗うつ薬

サインバルタ

 

リーゼとデパスパニック障害の症状に。

サインバルタはうつの症状に。

 

それぞれの薬を飲んでいます。

 

リーゼとデパスは飲み始めてから半年以上経過していますが、頼りになる薬です。

 

効力は人それぞれだと思いますが

僕とは相性がいいみたいです。

 

パニック障害うつ病

キツイ二刀流です。

 

サインバルタもまだ一度しか飲んでいないのでどう効くか分からないですが

 

経過報告をここに書きます。

 

明日からまた一週間が始まります。

気持ちは辛いですが、頑張ります。

 

おやすみなさい。

 

 

ブラック上司と魔法の消える休日

こんばんは。

また前回の続きになりますが

 

パニック障害が出始めて半年。

新しい会社でもパニック発作と戦い

毎日、地を這うような思いで過ごしていました。

 

時短勤務のイレギュラー入社をした僕でしたが

気が付けばその時短勤務はなくなっていました

 

なんででしょう。おかしいです。

原因は僕を会社に迎え入れてくれた人でした

 

前職の時、会社同士の付き合いで交流があったくらいだったので気付きませんでしたが、いざ部下として働くと・・・

 

あった筈の休みが魔法のようになくなり、定時に出社すれば怒鳴られ、気付けばまた心がボロボロになってました。

 

いわゆるブラック上司です。

 

僕が思うブラック上司は

・気分屋

・仕事は個人プレイ

・異常なタフさを持っている

 

そんなところです。

会社の利益を考えて働く。これは社会人として当たり前です。もちろん会社の利益が自分の給与にも響く訳なので

 

結果を出す事は当たり前です。

 

しかし

メンタルの強さや体力面、スキルなどは人様々です。他人が強要していい部分にもボーダーラインがあると思います。

 

その上司は

「俺こんなに働いてるぜ。利益こそが全てだぜ」そんな人だったと感じました。

 

稼ぐ上で確かに利益を生むのは絶対です。

しかし、その利益を生むのは人です。

上司も部下も含め社員です。

 

人がいなくなったら

そこに利益は生まれません。

 

僕は規定外の事をするのも

抵抗ないですし、少しの残業でウジウジ言いません。

 

しかし

気分で休みを取り上げられ、定時に出社したら怒鳴られ、休めなかった分来週は連休あげるよなんて言っておいて、毎回、直前になって上司の気分次第でなくなる。

 

耐えられませんでした。

仕事が忙しくて休みがないならまだしも、気分で休みを潰されるんですから。

 

当然ですが

僕がいた部署の人間は1年未満で退職している人が90%でした。

 

前職の時に打ち合わせなどで会っていた部署の人も入社したらいなくなってましたし全て納得です。

 

あ、

もちろん残業代なんてものも休日出勤手当てなんてものもありませんし、タイムカードのデータは書き換えられてました。

 

僕ヘタレなのか

環境が悪いのか

 

それは分かりません。

体調も悪化し、結果的に辞めました。

 

起業した頃の野心や夢

覇気や勢いも全て失いました。

 

時が経つにつれて

死にたいと強く思うようになり

 

首を吊るか

強い薬を大量に飲んでみるか

国道に飛び出すか

ホームから転落してみるか

車の中で練炭を燃やしてみるか

包丁で首を刺すか

 

生きていたくない。

幸せなんてどこにもない

自分には何もできない

 

ずっとこんな事ばかり考えるようになりました。言わずもがなですが

 

この頃からパニック障害以外の何かが

僕の中に芽生えてしまったみたいです。

 

しかし

この時はまだ「環境が悪かっただけ」そう思っていました。

 

根本的な問題がどこにあるのか

それに気付かない事は怖い事です。

 

次はブラック企業を去った後の事を書きます。

おやすみなさい。良い週末を。

 

 

 

 

 

 

パニック障害との付き合い

こんばんは。

一週間があっという間です。

 

パニック障害になって仕事を辞めた後の話しを少しだけ。

 

次の宛てもなく仕事を辞めてしまいました。

急な退社という事もあり、会社関係者に後日私信で挨拶だけすると。。。

 

「うちで働きませんか?」と声をかけてくれた会社が多数。凄くありがたい話しです。自分の体調の事も知っていて「少しずつでもいいから、リハビリからでも」と皆様言って下さいました。

 

その中の会社で自分がしていた仕事に近い会社を選んで、三週間程休んだ後、入社しました。

 

「週4の時短勤務で」

体調の事を考慮してくれて、イレギュラーな雇用の直談判を社長さんにして下さったそうな。

 

そして

仕事を始めてから3日。

環境の変化からくるストレスか、現場で過呼吸を起こしました。先輩方も僕の体調の事を知っていてくれたみたいで、その日は早退。

 

この時は本当に落ち込みました。絶望感しかありませんでした。

 

「環境が体調を悪くしている」

そう思い前の会社を辞めたのにも関わらず、時短勤務の新しい会社でもパニック発作が起きてしまった。

 

「自分には何も出来ない」

そう絶望し、早退した帰り道、家の近くの公園で泣きました。

 

もうここまで来ると

生活の中全てに不安しかありません。

 

電車に乗っても発作が起きる

ご飯を食べても発作が起きる

寝ていても発作が起きる

仕事していても発作が起きる

 

生きている事が辛いと感じました。

駅のホームに立っていても「一歩前に出たら楽になれるだろうか」そんな事ばかり考えていました。

 

毎日毎日

パニック発作に悩まされ

人生に不安を抱え、ストレスまみれ。

 

生きるってなんでしょう。

死ぬ為に人は生きている。意味わからないですよね。

 

このあと僕は

重大な事に気がついたんです。

 

また後日書きます。

では。

 

 

 

 

 

 

パニック障害になったその後

こんばんは。

仕事が終わりました。

週明けの朝は本当に辛いです。

 

前回の記事の続きになりますが

過労とストレスを溜め込んだ僕は救急車で運ばれ、その後3日の休暇を取りました。

 

一人一人のタスクが多い職場だったのと

自分が代表兼CEOだった事もあり、あまり長く休暇は取っていられないと思い、すぐに復帰をしました。

 

結果からいうと。。

 

これが大きな間違いでした。

 

復帰初日。

みんなの心配する言葉と表情が現場にはありました(オーナー友人の部下を除いて)

 

「心配かけてごめんね」といいつつ倒れた事をネタにして笑い話をしたり。

 

復帰初日の出勤から数時間経ったとき、またソレはやってきました。動悸が止まらなくなり呼吸が乱れ、まるで仕事をする事を身体が拒んでいるような感覚。

 

デパスを飲み落ち着くまで会社のベランダでうづくまりました。

 

もうこの時は本当に辛かった。

自分が起こした会社で、皆を守らなければいけない立場でありながら何もできない。

 

無力な自分と絶望感しかありません。

 

そのまま一週間。

薬を飲みながら度々くるパニック発作と戦いながら仕事。

 

でも

それも長くは続かなかったです。

 

起きている時だけではなく、寝ている最中も過呼吸を起こしては妻に心配をかけ、まともに眠れない日々が続き

 

僕は決断しました。

 

「仕事を辞めよう」

 

自分が起こした会社を辞める。

僅か半年で。

 

身体がいう事を利かず、辞めるしかなかったと今でも思います。

 

一緒に起業した相方に相談をし

結果、2人で辞任する事にしました。

 

オーナーに自分が出した結論と続けられない理由を話しました。

 

その時はオーナーから怒鳴られたりしましたが、もう何も感じなかったです。無意識に涙が流れるだけで会話の内容も入ってきませんでした。

 

結局、オーナーのブチギレにより僕は即日退社となり、相方は1ヶ月残る事に。。

 

他の従業員にも事の詳細を話し

1人を除いて「仕方がない事ですよ、今は休んでください。すぐに仕事はしない方がいい、約束してください」そんな言葉を僕にかけてくれました。

 

涙が止まりませんでした。

こんなにいい奴らが集まって仕事していたのに、どうして自分には何もしてあげられないんだろう。

 

続けるのも辞めるのも辛かった。

 

しかし

オーナー友人の部下だけは違いました。

 

「責任を持って無給で働いてくださいよ」

 

彼は僕に言いました。

 

その瞬間

他の従業員の顔色が一気に変わったのを覚えてます。自分はいいんです。無責任なのは自分なので。ぐうの音も出ません。

 

みんなをなだめてデスクを片付けていたら、オーナーが現場にて、僕が即日退社すること、相方が一ヶ月後に退社する事を言い

 

その場は落ち着きました。

 

こうして僕の大きな失敗の一つが終わり。

パニック障害との付き合いの始まりです。

 

疲れたので今日はこの辺で。

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パニック障害になった日

こんばんは。

僕がパニック障害になった日のことを書きます。

 

2016年の2月頃

当時メディア業を起業して会社のトップとして働いていました。

 

起業メンバーは僕を含めて2人。

体制が少し整ったところでもう2人増え

4人で会社を営んでました。

 

嘘のような話に思われるかもしれませんが、起業以前よりちょっとした投資家と親しくしていて、その人に出資をしてもらい起業に至りました。

 

立ち上げから半年

ここで問題が発生しました。

 

後から迎え入れた2人のうちの部下1人がオーナーの友人だったのですが、これが仕事をする上での障害となりました。

 

オーナーはパーティを開いたりするのが好きな、通称パリピで、その部下は度々パーティーに誘われました。

 

少人数で運営していた会社という事もあり、一人一人のタスク(特に自分)はかなり多かったです。

 

自分自身は

朝から執務、午後から夕方にかけては打合せを何件もハシゴし、夜は会社に戻り予算管理をしたり、、、

 

終電で帰り

仕事が終わらなければ、そのまま家に持ち帰って終わるまで自宅で仕事。

 

そんな日々の中

オーナーの友人の部下は仕事放置で夕方からパーティに参加し朝まで遊んで次の日は欠勤。

 

他のメンバーは休みなく夜中まで働く毎日。

 

当人に指摘をするも

オーナーを盾にされ改善に至らず

しまいにはオーナーに呼び出され僕が責められる始末。

 

ほか従業員との定例でも当人を解雇する決断をしオーナーに提案するも玉砕。

 

もうここで体力的にも精神的にも限界だったのかもしれません。

 

そして

ついに身体に異変がおきました。

この日は朝から顔の感覚が麻痺しているような感覚があったのを覚えています。

 

とある打合せ中に

いきなりの嘔吐感、激しい動悸、次第に呼吸が出来なくなり

 

「あ、このまま死ぬんだ」

 

そう思いました。

椅子から転げ落ち、呼吸が出来ず意識が薄れる。。。

打合せ相手が救急車を呼んでくれてそのまま大きな病院に搬送。

 

搬送中も呼吸が上手くできず

意識も朦朧としていました。

 

そんな時でも

「打合せはどうする」「会社に帰って予算まとめなきゃ」なんて事を考えてたのを覚えてます。

 

その後、救急病院で適当な処置を施され点滴を投与され、即日で帰されました。

救急外来の診断では「異常なし」という驚きの診断。「過労ですねー」なんて言われました。

 

僕からしたら

「あれのどこが異常なしなんだ、じゃあアレはなんだったんだ」という漠然とした気持ちだけが残り、不安なまま部屋を出ると

 

そこに

オーナーがいました。

打合せ相手もオーナーと繋がりがある人で報告してくれていたようです。

 

病院の廊下で謝罪をし、オーナーの意向でしばらく休むことになりました。

 

翌日、ぜんそくの治療をしているかかりつけの病院で起きた事を話し、検査してもらい

 

パニック発作過呼吸です」

そう診断されました。

 

ここから人生の歯車が狂った気がします。

処方されたのはリーゼ錠とデパス錠。

抗不安剤という精神安定剤の一種です。

 

その後も日中は愚か寝ている時に過呼吸が起きたり、度々の発作に悩まされました。

 

今でもパニック発作は起きるのですが、発作が起こる直前の感覚や薬を肌身離さず持っているいるので、なんとかコントロールできてます。

 

パニック障害。。

やっかいな病気です。。

 

これが僕のパニック障害になった日の事です。

 

疲れたので眠ります。

 

次は「パニック障害になったその後」を書きます。

 

おやすなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めまして。

おさんぽ村長と申します。

名前の由来は気が向いたらいつか書きます。

 

とりあえず自己紹介。。。

 

名前:おさんぽ村長

年齢:20代

性別:男

結婚:既婚

趣味:ゲーム、アニメ、音楽

 

こんな僕ですが困ったことに

うつ病パニック障害をもっています。

 

家庭があって仕事をしなければならないのに、、、困ってます。

 

パニック障害に関しては病院で薬を処方してもらい改善されてきましたし、発作が起こりそうな時の対処法もなんとなく身につけました。

 

しかし、うつ病に関しては一度カウンセリングを受けたきり病院には行っていません。お金がなくて治療が出来ないんです。

 

症状がヒドイので

なんとか病院に行けるよう考えているところです。

 

どうしてそんな僕がブログを始めたのかというと、

 

『いつか克服した時にどういう経緯で克服できたか』

 

というのを形に残しておきたかったからです。正直今はすごい辛いです。死にたいと考える事も多々あります。夢も希望もなければ生きてる意味も分からない、、

 

でもいつか治る日が来るのなら

同じように悩んでる人の力になりたいと思います。

 

うつやパニック障害についてアドバイスが記載されている記事などがネット上に沢山ありますが、正直「書いてるやつはうつ病で苦しんだ事あるの?」と疑念を持つばかりです。

 

気分が乗らなくなってきたので今日はここまでにします。

 

次回は「パニック障害になった日」の記事を書こうと思ってます。

 

ではまた。

人生が楽しいと思える日が来ることを願ってます。