パニック障害になったその後
こんばんは。
仕事が終わりました。
週明けの朝は本当に辛いです。
前回の記事の続きになりますが
過労とストレスを溜め込んだ僕は救急車で運ばれ、その後3日の休暇を取りました。
一人一人のタスクが多い職場だったのと
自分が代表兼CEOだった事もあり、あまり長く休暇は取っていられないと思い、すぐに復帰をしました。
結果からいうと。。
これが大きな間違いでした。
復帰初日。
みんなの心配する言葉と表情が現場にはありました(オーナー友人の部下を除いて)
「心配かけてごめんね」といいつつ倒れた事をネタにして笑い話をしたり。
復帰初日の出勤から数時間経ったとき、またソレはやってきました。動悸が止まらなくなり呼吸が乱れ、まるで仕事をする事を身体が拒んでいるような感覚。
デパスを飲み落ち着くまで会社のベランダでうづくまりました。
もうこの時は本当に辛かった。
自分が起こした会社で、皆を守らなければいけない立場でありながら何もできない。
無力な自分と絶望感しかありません。
そのまま一週間。
薬を飲みながら度々くるパニック発作と戦いながら仕事。
でも
それも長くは続かなかったです。
起きている時だけではなく、寝ている最中も過呼吸を起こしては妻に心配をかけ、まともに眠れない日々が続き
僕は決断しました。
「仕事を辞めよう」
自分が起こした会社を辞める。
僅か半年で。
身体がいう事を利かず、辞めるしかなかったと今でも思います。
一緒に起業した相方に相談をし
結果、2人で辞任する事にしました。
オーナーに自分が出した結論と続けられない理由を話しました。
その時はオーナーから怒鳴られたりしましたが、もう何も感じなかったです。無意識に涙が流れるだけで会話の内容も入ってきませんでした。
結局、オーナーのブチギレにより僕は即日退社となり、相方は1ヶ月残る事に。。
他の従業員にも事の詳細を話し
1人を除いて「仕方がない事ですよ、今は休んでください。すぐに仕事はしない方がいい、約束してください」そんな言葉を僕にかけてくれました。
涙が止まりませんでした。
こんなにいい奴らが集まって仕事していたのに、どうして自分には何もしてあげられないんだろう。
続けるのも辞めるのも辛かった。
しかし
オーナー友人の部下だけは違いました。
「責任を持って無給で働いてくださいよ」
彼は僕に言いました。
その瞬間
他の従業員の顔色が一気に変わったのを覚えてます。自分はいいんです。無責任なのは自分なので。ぐうの音も出ません。
みんなをなだめてデスクを片付けていたら、オーナーが現場にて、僕が即日退社すること、相方が一ヶ月後に退社する事を言い
その場は落ち着きました。
こうして僕の大きな失敗の一つが終わり。
パニック障害との付き合いの始まりです。
疲れたので今日はこの辺で。
ではまた。